加子母木匠塾30周年史 2021年7月の編集合宿
2021年 07月 30日
先日、加子母にて30周年史編集合宿を行いました。
当初は4月に予定していたものですから、加子母の地域の方々へのインタビューなども考えていましたが、コロナのためその取材は延期としました。
今回は実際に作品・制作物を見てまわること、30周年史の記事に載せるOB座談会を収録すること、この2点をメインコンテンツとした合宿でした。
30周年史とは…?
加子母木匠塾の30周年を迎える2024年に完成させることを目標に、木匠塾の卒業生有志が集まって、木匠塾の歴史を出版物として書籍にまとめようとしています。都会の学生300人が人口3000人にも満たないむらに押し寄せ、木造の小規模な制作物を7つも作っては帰っていくという一見おかしな活動が、加子母では1995年から25年以上も続いています。その謎にせまるべく、またこの長い歴史をここいらでひとつまとめなければ!という使命感にかられ、始まったプロジェクトです。
今回参加したメンバーを紹介します。
伊藤 満広(いとう みつひろ)さん
かしもむらづくり協議会。地域の窓口と木匠塾生の世話役を20年以上。伊藤さんにはいつも頼りっぱなしです。
善田 奈緒(ぜんだ なお)さん
やかたの初代管理人さん。木匠塾の担当を途中7年間されていた方で、今の学生主体の形を作ったのは善田さんだと言われています。
柳沢 究(やなぎさわ きわむ)先生
1999年京大幹事。京都大学で准教授をされています。その前は名城大学にいらっしゃって、名城が木匠塾に参加したきっかけの先生です。編集委員長をしてくださっています。
臼田 桃子(うすだ ももこ)さん
2002年京大文学部、2004年工繊。フィルムアート社(出版社)で編集をされていて、編集者目線でのアドバイスもしてくださいます。
具志堅 興輝(ぐしけん こうき)さん
2004年京造幹事。一級建築士事務所(株)アルト舎。全然沖縄出身じゃないそうです。
政木 哲也(まさき てつや)先生
2005年京大幹事。京都橘大学で専任講師をされています。
堀 賢太(ほり けんた)さん
2007年総幹事/京大。堀賢太建築設計事務所。同級生数名と一緒にほぼ毎年加子母に訪れているそうです。
原田 佳苗(はらだ かなえ)さん
2018年総幹事/名城。工務店で設計を担当。柔道をしていたので近づいたら「投げてあげようか?」と言って投げてくれます。
松井 茉優(まつい まゆ)
2019年総幹事/京大。ゼネコンでロボット開発。現役当時はとてもピリピリしており怖がられていましたが本工期が終わった途端抜け殻となりました。@kashimokusho の1番古いタグ付けをご参照ください。
座談会ではさらに編集者、記者の方にも入っていただきました。
まずは制作物ツアーを行いました。老朽化のため解体撤去されたものもありますが、メンテナンスのおかげで現存している制作物もまだまだたくさんあります。
最初に訪問したのは、全大学合同で長く改修を続けてきた松屋(旧佐藤様邸)です。木匠塾の学生達の学びのために、自由に改修していいよと譲り受けた古民家です。当時参加人数が増加し、宿泊施設が足りなくなってきていたこともあり、帰ってきたOBOGが寝泊まりするための改修を2011年より進めてきました。ゆくゆくはゲストハウスとしての整備が進むことも期待されています。@kashimo_matsuya 詳しくはプロフィールのリンクからHPに飛んでください。
次に訪問したのはおじゃった庵です。おじゃった庵は小郷(おご)の防災ダムの近くにある、地域の集会所にあるBBQ小屋です。2009年京大の制作物ですが、今も使われているようで、小郷の方々に木匠塾を受け入れてもらえるきっかけとなった制作物です。当時の学生は毎年一升瓶を持ってメンテナンスに訪れていて、そして今も地域の方と連絡を取り合っているそうです。京大チームの学生は、今も毎年加子母に初めて来る新しい後輩をここへ連れてきて、地域の方々に受け入れてもらえていることが当たり前じゃないこと、加子母で活動を続けてこれていることへの感謝を語り継いでいます。
その後も・・・
次々と制作物をまわり、メンバーそれぞれが当時担当した制作物を感慨深げに写真を撮っていました。またこのあいだずっと10人乗りのバンを運転しながら、各制作物についての裏話もたくさん聞かせてくださったのはもちろん伊藤さんでした。本当にありがとうございました。
予定より多くの制作物を見て回ったので若干スケジュールが押しましたが、無事やかたへ戻りました。
やかたのホールで、年表ワークショップをしました。
この30年間でいつ何が起こったのか、全貌を知る者はいません。制作するための人手が足りなかったと思えば学生が増えすぎたり、ゆく大学くる大学、お金が足りなかったり足りなかったり、その影響で制作物の傾向が変わったりといろんな側面から30年間を振り返ってみました。
途中助っ人として、開塾当初に木匠塾の担当をしてくださっていた中津川市役所農林部の桂川利也さんにも来ていただきました。
成果はまた後日改めて報告いたします。
次の日。
いよいよ本番、座談会をしました。事前にトピックを3つ、4つ用意して話をしてもらいました。
- なぜ木匠塾に参加しようと思った?(どんな謳い文句で誘われた?何に魅力を感じて参加することにした?どういう経緯で参加する羽目に?)
- 実際参加してどうだった?(事前の予習と比べて木匠の印象は変わった?)
- 今の自分に与えた影響は?(職業など卒業してしばらく後、振り返ってみて今思うと)
- 何を学んだ?(運営側を経験してみて)
お互いの発言に対して質問をし合い、さらにその場で出た意見について議論を交わしました。
皆さんそれぞれ、自分の考える木匠の魅力がありました。また、それぞれ参加した年代も違うものですから直面した課題も違いました。
でも共通していたことは「木匠塾ってなんなんだろう?」、「木匠塾をこのまま続けていいのだろうか?」と常に自問していたことです。
木匠塾が続いてきたのは、もしかするといつも何かに悩みながら?悩まされながら?そのときできる精一杯をやろうと、みんなが一生懸命になれる場所であり続けたからかもしれません。
サボっていただけかもしれませんが、マニュアル、つまり正解(特殊解ではなく一般解)を、作ろうとしても作れなかったことは、結果的によかった?のかもしれません。学生は型にはめられるのは好きではありませんし?かといってこんなに好きにやらせてくれる加子母みたいな地域は他にどこにもないと思いますが。
皆さんの加子母や木匠塾に対する熱い思いが聞きたい人は現総幹事の山本くんに言ってください。3時間37分の音声データをお渡しできます。文字起こしボランティアも絶賛募集しているところですので何名かで分担してくださって構いませんのでぜひお願いいたします。
実りある充実した合宿となりました。30周年史が楽しみですね。
編集委員会に興味のある方はいつでもご連絡ください。
by kashimokusho
| 2021-07-30 02:00
| 同窓会